自分の幼馴染の母親が、この料亭―――「蜆亭」の(臨時)女将として働いている・・・
そんな事とは露も知らなかった璃莉霞は、未だ気が落ち着かないままに、その料亭の通路を、女将の後について歩いていました。
「ああ・・・なんで私、こんな場違いなところにいるんだろう―――」
「もしかして―――秀ちゃんとキスしたのが悪かったのかなぁ・・・」
「それとも、舞い上がっちゃって、お弁当作って渡しちゃったことなのかなぁ・・・」
「不安」―――は、時に不要な思索を巡らせ、余計な混乱を招くとさえ言われていると言う・・・
璃莉霞も、それに倣うかのように、自分がこうなってしまっている経緯に、頭を巡らせていたのです。
けれど・・・そんな彼女の思惑とは裏腹に―――着実に近づいてきている・・・
とてもではありませんでしたが、本来ならば、そんな不要な思索を巡らせる余裕など、ないに等しかったのです。
それを示すかのように、臨時女将の足が、「ピタリ」と止まりました。
けれど―――
婀:(・・・)ここからは、あなた一人で行きなさい。
そして、呉々も―――・・・
璃:あ、はい―――ありがとうございます・・・。
「フフ―――さすがは・・・よく見えている。」
「私が急に立ち止まろうとも、ぶつかりもせず・・・またふらつきも、よろめきもせず。」
「なに・・・心配することはありませんよ―――「あなた」の娘なのですもの・・・。」
婀娜奈は、一体“誰”に向かって説いていたのか・・・
それは彼女本人しか判らないことではあるのでしたが・・・
ただ―――彼女が見つめていた先には、これから“鬼”に捧げられていく、「可哀想な子羊」なのではなく、
生前では自分ですら敵う事のなかった、「ある人物」の“忘れ形見”の背中―――でもあったのです。
そして璃莉霞は、この建物の最奥にある―――通称「大女将の部屋」へと入ろうとするのですが・・・
高鳴る鼓動を抑え―――意を決して声を張ると・・・
璃:失礼しますっ―――! お邪魔させていただきます―――!
――いいわよ、お入んなさい――
向うからの「お許し」の声があり、入口の襖を開け―――その場にて伏礼をする璃莉霞・・・
それを、こちらの方は―――
瀬:よく来てくれましたね―――璃莉霞殿。
それより、どう呼んでいいのかしらね―――今の「松元」か・・・それとも元の「征木」か・・・
璃:(!)いっ・・・いえ―――私は・・・
瀬:ふうぅ―――ん・・・でも、やっぱり「今」の方がいいわね。
では、松元璃莉霞殿、こちらの映像を、ご覧になって頂こうかしら―――
早くもの「先制攻撃」―――まさか、そちらの“手”で来るものとは、思いも寄りませんでした。
確かに、「今」の璃莉霞の姓は「松元」・・・なのですが、元々の姓は「征木」だったのです。
それがどうして「今」は違うのか・・・
それは、璃莉霞も判っていたことでした。
それが、「実の母親の失踪」―――
亡くなってしまったのか―――誘拐されてしまったのか―――
その原因すら解明されていない・・・。
それに、幼かった璃莉霞に家を継がせることを「善し」とはしなかった、「ある者の思惑」もあり、
その当時、征木家に勤めていた使用人の長―――「松元」の家に、養子として籍を移された・・・
そこまでは、成長していくに従い、璃莉霞も判り始めてきた事―――だったのでしたが・・・
今一つ判らなかったのは、不意に瀬戸は、「征木」の姓で自分を呼ぼうとしていた・・・??
そこも大きな疑問点として残るのでしたが、未だ頭の整理が追いつかないでいる―――と言う内に・・・の、
攻撃の第二波―――
それが、“あの”・・・生徒会長室で市子から見せられた「写真」より、
“より”精巧で―――“より”驚愕の事実が収められた・・・
璃:(ええ・・・え゛え゛え゛え〜〜〜)こっ・・・こっ・・・これ―――ってぇ?!
瀬:う゛っう゛ぅ゛〜〜ん―――♪ ほぉぉ〜んと、絶妙なアングルだわねぇ〜―――?♪
市子が・・・一番恐れていた事実―――
自分にも送られてきた「静止画像」とは異なる・・・
「高画像」「高画質」「高画素」―――にして、「ハイ・レゾ」対応で「録音」された・・・
『動画』
の“存在”―――
しかも??
最悪なことに、当時の璃莉霞は、興奮するあまりに、
自分がどんな表情で―――どんなセリフを言っていたのかすら覚えていなかった・・・
それを、客観的に見れてしまうものがあるモノとは・・・
いやはや、技術の進歩と言うのは―――
と、まあ・・・そんなことはさておき―――
璃:(え゛え゛え゛〜〜〜っ・・・わ、私・・・こんな表情してて、あ・あ・あんな大胆なことをぉ〜〜??)
瀬:ぃよっしゃあ―――! でかしたぁ!璃莉霞ちゃん!!
璃:ふえっ―――?!
瀬:いっやさあ〜〜実際こっちも手をあぐねてたわけなのよ。
森野のご子息―――清秀君だったっけ?
純情・純朴なのはいいんだけどねぇ〜こうも手を出さないんじゃあさ?
だ・か・ら―――せっついてたんだけどねえ〜?
そうよね―――
『梟』
『梟』とは、夜行性の猛禽にして、獲物を捕らえる時、その羽音を一切生じさせず襲う―――と、されている
「禽」の名前―――
ですが、この部屋には、璃莉霞が入る以前―――既にその気配を殺し、その「禽」は潜んでいたのです。
それも、武術の達人である―――璃莉霞にも気取られることなく・・・
それに、顕在化した暁には、本来の主人により、「その名」を呼ばれたからであって・・・
梟:いやぁ〜〜そうっすよね〜〜―――あの朴念仁ときたら・・・
璃:(へ・・・っ?)とっ―――朋??
朋:ぃよっw
いっやあ〜〜―――こっちもビックリしたのなんの・・・って、あのニブチン、ようやく璃莉霞の唇奪いやがってさあ〜w
「いっ―――いつの間に??」
「いや―――その前に、この私が、この部屋へと入ってきた時には、瀬戸様しか認識していなかったのに??」
璃莉霞は、そう思いましたが・・・そのお蔭で、今まで自分が抱いていた疑問が氷解してきたのです。
「けど・・・やはりそうだった―――」
「あの写真が撮られてしまった時、周囲には誰もいないから―――と、思っていたのに・・・」
「この私が日頃張っている「意識の結界」―――その範囲外で・・・」
「それも、最新式で高性能の、携帯式の情報端末で、現場を抑えられてしまっていた・・・」
それも・・・「人」の名ではない―――動物の・・・「禽」の名前・・・
「そう言えば・・・母様から聞いたことがある―――」
「「瀬戸」の家には、「禽」の名を持つ、“暗部”が仕えている―――と・・・」
#41;『禽』
瀬:それにしても、大手柄だったわね、「梟」。
お蔭で「こちら」の進行も、一応の目途がたってきたわ。
梟:左様でございましたか―――♪
それはこちらも冥利に尽きる・・・ってもんです。
では、またのご贔屓を〜〜
そう言うと、古くから付き合いのあった先輩は、まるで「霧」か「霞」のように、姿を眩ませた・・・
それに、今にして思えば、よくこの先輩は、自分達と一緒にいながらも、時たまに姿を見せなくなる事が多かった・・・
「私達・・・見張られていたんだ―――」
確かに、新垣朋子は、そうした「お目付け役」を仰せつかってもいました。
けれどそれは、「見張り役」・・・と言うよりは、言わば「警護」も兼ねた「護衛役」と言うのが相応しかったと言えたのです。
とは言え、これはまだ「本題」ではありませんでした。
年頃の男女がイチャついている映像を、そのご本人様と一緒に「鑑賞会」―――をするなど、
そんなものは悪趣味の極致と言えており・・・
だとすると、行く末は―――「御三家」の一つである森野家を継ぐ者に集る、
「悪い虫」を駆除するために・・・と、自分を呼び寄せたのだろうか―――・・・
璃莉霞は、考えれば考えるほど、その思考をネガティブにせざるを得ませんでした。
―――が、しかし、それがそもそもの「間違い」。
なにしろ、その指摘を、「ある進行」を視野に置いている、ご本人がするのですから。
瀬:ん―――じゃ、お腹も減ってきたことだし〜〜なんか作って頂戴な、璃莉霞ちゃん。
唐突に―――自分が思っている以外の事を言われ、
なんとも間の抜けた表情となってしまう璃莉霞・・・
「アレ・・・? 私―――ここへ怒られに来たんじゃなかったっけ?」
「それなのに―――アレ・・・? なんで私―――瀬戸様のご飯を作る流れになっちゃってるワケ??」
「ア・・・レ? 私―――
一体なにしにここへ???」
様々に蠢き、巡る困惑の渦に翻弄され、疲労困憊寸前となる璃莉霞・・・
そこを―――「仕事場」(?)へと向かう道中、ここの臨時女将であるこの人物から―――
婀:これから、「板場」の皆さんに紹介するから、それと―――「これ」・・・
璃:は・・・あ・・・(板前さんの・・・服?)
あの―――おばさま?
婀:私の事は、「おばさま」ではなく、「女将」と呼びなさい。
あとこれは、あなたの為でもあるのよ。
璃:(私の・・・為・・・)判り―――ました・・・
煮え切らない―――煮え切れる、わけもない―――
納得のいかないまま、半ば「押しつけ」も同然で与えられたことだけに、どう対処していいかも判らない・・・
とは言え、取り敢えずは、渡された「蜆亭」の制服に袖を通し、身形を整える璃莉霞―――
そして、案内された場所とは―――まさしくの「味の修羅場」でありました。
「板長」を含める「板前」さんは、計4人―――
それをフル稼働させ、忙しなく動く現場・・・
そして、出来上がった料理を、お客様の下へと運ぶ「仲居」さん達の掛け声も、活気に溢れている―――
璃莉霞自身も、まだ幼い頃・・・両親に連れられて数度しか来たことがなかったけれども、
あの頃は、そんな処まで意識して見てこなかっただけに、緊張は更なる緊張を呼び寄せたものだったのです。
そんな彼女の事を、知ってか―――知らずか―――臨時女将は・・・
婀:「板長」―――
板長:へいっ―――! こちらに・・・
婀:こちらの子が―――本日臨時に入る子よ、よろしくしてね・・・。
板長:へいっ―――!
あっしは、ここの板長を張らして貰っておりやす―――「山崎銀次郎」と発しやす!
この「板場」で、一際体格の大きな・・・まるで羆を思わせる大男―――
眉毛太く、口ひげも蓄え、腕っぷしもかなり強そうなこの男―――こそ、
蜆亭の板場を取り仕切る、板長である・・・山崎銀次郎と名乗る男だったのです。
しかも、この男―――臨時に板場に入るとはいえ、一人の女子高生に深々と頭を下げた・・・までは良かったものの、
首筋から肩口にかけ、「ちらり」とのぞいた―――人肌とはまた違う「色合いの肌」・・・
それも、一色などではなく、「青」や「赤」「緑」や「黄」と言った、彩り鮮やかなモノ―――
それを思わず璃莉霞は、「刺青だ・・・」と、言いそうになりましたが、慌ててその言葉を飲み込んだものだったのです。
それにしても―――急に仰せつかったこともあり、「瀬戸の料理を用意しろ」などと言われても、
包丁一本も持ってきていない璃莉霞・・・
そんな彼女に対し、ここの板長は―――
銀:おい!安―――
一本借りるぞ!
こちらを・・・
璃:あ・・・ありがとう―――
板前さんの一人から包丁一本を借り、それを璃莉霞に手渡す銀次郎・・・
そして、それを手渡された璃莉霞は、特に何をするでもなく―――
その包丁の刃の部分を見つめ・・・やおらすると、傍にあった大根に刃を入れるのでした。
その所作の在り方を、見つめていた銀次郎は・・・
今回、瀬戸に特別に献上をする、「ある食材」を手にすると、
この食材を璃莉霞が料理するように―――と、指示を与えるのでした。
つづく