その“言葉”は、ある人物の事を言い表すのに、一番相応にして一番不相応しくないものでした。
けれども、“今”なら判る―――
この呼び名こそは、その人物・・・「瀬戸朝霞」の事を、とても分かり易く―――
そしてまた、一度使ったなら、否応なく使用者自らが判っていなくてはならない・・・
『クソババア』―――
その一言こそが、瀬戸を「鬼姫」足らしめ、そしてまた自分も、鬼姫の謀略に手を貸す・・・
そうした意味の込められた“呪言”のようなものなのだから・・・。
それに―――この時もまた、そうだった・・・
「松元」を改め、「征木」となった璃莉霞に、彼女自身深く関わっていた、
「ある重要事項」―――を、この時まさに明らかにされた・・・までは良かった。
けれど、時期としては、「長期の夏季休暇」―――それも半ばを過ぎ、「お盆」の時期を迎えようとしていた・・・
つまり、「店」側からしてみれば、この上ない「商売繁盛」の時期であり、まさに「書き入れ」時に、
今や蜆亭では猫の手も借りたい程の慌ただしさ―――
そこへ、ようやく重要な話しを終えた、この“親子”に齎されたのが・・・
#69;“父”と“娘”と
驍:では―――向かうとするか、ワシらの板場に。
璃:(・・・)って―――あの、「大旦那」であるはずの杜下様が・・・どうして。
驍:うん? ふむ―――・・・
実はワシも、お前と同じ頃の時分に、蜆の板場に立っていた事があってな。
璃:では・・・母様も―――
驍:いや・・・阿重霞は、そんな事をせずとも、既に素養は身に着けていたよ。
銀―――すまぬが、この一角を使わせてもらうぞ。
銀:へいっ―――では、こちらを任せさせて頂きやす。
璃:あ・・・では、私も―――
驍:お前は、ワシの隣でワシと同じ様なことをしていなさい。
璃:は―――はい・・・。
2人して同じ場に立つ―――
それに聞けば、大旦那も自分と同じ年頃の砌には、蜆の板場に立っていたのだと言う・・・
そしてその事を璃莉霞は、自らの眼で確と見ました。
自分以上に鮮やかな手つき・・・
それによくよく見れば、幼い頃、台所で見かけた自分の母のよう・・・
「ああ・・・そう言う事だったんだ―――」
「私の母様は、そのなにもかもを、この人から見て習った・・・」
「そしてそれを、私は母様から受け継いだ・・・」
璃莉霞は、気合を入れ直すかのように、自分の両の頬を力一杯叩くと、
そこからは、大旦那である驍と同じ手つきで、次々と料理を仕上げていくのでした。
そして―――・・・
璃:(・・・)ちょっと薄い―――
驍:銀―――寸胴一杯分、出汁を取り直せ。
やはり落ちてきている。
銀:へいっ―――!
おぅ、お前ら!気合入れ直せ!!弛んでるんじゃねえぞ!
今、自分は、感じていたことを、ちょっと口にしたまで・・・
けれど“それ”は、蜆の沽券にも関わると言った処なのか、驍が板長である銀次郎に指示を与えたのです。
『味・・・その一点に於いて、妥協を許さず』
これがまさに「味の修羅場」と讃えられている『蜆亭』の真価・・・それでした。
それに―――
婀:フフッ・・・さすがですな。
璃:あ・・・おば様―――それに、その恰好・・・
婀:こう、来客が多くては、注文取りも儘ならぬそうな。
ゆえの―――「臨時」女将・・・と、言った処かしらね。
驍:―――何かあったのか?
婀:フッ・・・やはり、チャンの嫌がらせ―――と、言った処のようでしたわ。
中国人客総勢50名・・・これだけ数を揃えれば、蜆の名を失墜出来るものと思っていたらしいようです。
璃:そんな―――
婀:だが、お生憎様―――こちらには、優れた「包丁人」が2人もいるとも知らず・・・
ククク―――中々の見物でしたよw
半ベソを掻きながら、負け狗のように尻尾を巻いて逃げ帰った、あの中国人・・・
けれどまあ、少しは感謝すべきですかな―――
璃:どうしてです??
婀:ただでさえ客足の多い蜆に、更に未明の中国人客50名―――
つまり“これ”を、第三者が見たら、璃莉霞ちゃんはどう思う?
璃:あっ―――・・・
婀:つまりはそういうこと―――
あの50名が引き払っても、客足は途切れるどころか、引きも切らず―――
お蔭で蜆の評価も「鰻上り」―――とくれば、
とどのつまりチャンは、蜆の評判を落とそうとしたどころか、逆の事をしちゃったわけなのよ。(ニマアw)
驍:気を付けろ、婀娜奈・・・そのニヤケた表情、「クソババア」になりつつあるぞ―――
婀:おや、これは失礼―――
とは言え、もう少しばかりの辛抱です、なに、峠はすぐに来ますよ。
『禍を転じて福と為す』
“鬼”が、このタイミングで自分達を引き合わせた事の意味を、今まさに思い知らされた気分になった・・・
確かに―――確かにそうだ・・・
まるで、何もかもを見通した上で為される事柄に、皆“異口同音”に口を揃えて言う言葉・・・
『クソババア』
けれど、そのお蔭で、璃莉霞の内での“霧”や“靄”は、切り払えたような気がしてきた・・・
まだ、実の母―――征木阿重霞の、仮想内での“アバター”『エリス』と会う事は出来ない・・・
とはされているけれど、現実内とは別の仮想内で、生きている事が知れた・・・
いつかは会う事は出来る―――
そう思い、今は「その日」が来ることを待つばかりなのです。
そして、今件が終わろうとしていた頃・・・
璃:そう言えば、私の通っている学校、校則で「アルバイト禁止」されているんでしたが・・・
驍:ふむ、そんな事か―――
まあ、なんとかなるのではないか?
婀:ですなw
それに重太郎殿も、ここの上お得意様なことだし・・・
璃:ええ〜〜っ?!
「重太郎」―――って、市子さんのお祖父様で、白鳳の理事長様ですよね??
―――と、言う事は・・・
図らずも、知られざる事実が、また一つ―――
とは言え、「校則」は「校則」・・・
この事を正直に信友である市子に打ち明けるべきかどうか、璃莉霞は悩んだものでした。
そんな混乱冷め遣らぬ璃莉霞に、今回のご褒美とも取れるモノが―――
それが・・・
璃:あの―――これ・・・(浴衣・・・)
婀:それはね、阿重霞が、あなたと同じ年頃に仕立て上げたモノよ。
今回の働きの分は、金銭では渡せないけれど、せめてもの「お礼」は・・・ね。
母が―――自分と同じ年頃に、母の体つきに合わせて仕立て上げた「浴衣」・・・
極薄の紫色の下地に、濃い紫や藍で描かれた、杜若・菖蒲・菖蒲―――そして水の流れの柄絵・・・
それを、婀娜奈に手伝ってもらって袖を通して見ると。
自分と寸分違わない寸法―――
かつては、母が袖を通した浴衣に、娘である自分も袖を通している・・・
色の褪せていない―――“想い”・・・
その“想い”も―――“名”も・・・受け継いだ・・・
そして、今なら言える、“この言葉”・・・
璃:ありがとう―――おば様・・・そして、お父さん。
驍:(・・・)『父』―――と、呼んでくれるか・・・璃莉霞。
璃:はい―――まだ良く判らないけれど、同じ板場に立って判りました・・・。
あなたは、どうしたって、私のお父さん・・・
けれど、どうして私が、「杜下」でないのか、判りませんが・・・
婀:それは私も同じなのよ―――璃莉霞ちゃん。
私の「森野」、驍様の「杜下」、そしてあなたの「征木」・・・
この3つの家柄はね、大戦後間もない頃、この地域の活性化に大変寄与した家柄なの。
だからこそ、護り継がなくてはならない・・・例え、新興の家柄が台頭し、いくら落ちぶれたとはしても、
そう易々と潰してはいけないものなのよ・・・。
そこで、またも識る―――自分達の“家”の宿命・・・
それにおそらく、“一人ぼっち”だった以前の自分ならば、その重く圧し掛かる事実に潰されるところだっただろう・・・
けれど今は・・・今の自分には、心から信頼できる仲間に、“友”がいる・・・
一人では支えきれないものも、“友”の支えで立っていられる・・・
璃莉霞は今―――新たに「至れ」ました。
大きな家を継ぐ・・・その理の下に―――
そして、皆待ちに待った「お盆」の日を迎え、思い思いに新調させた「浴衣」に身を包む女性陣・・・
そんな中にあって、璃莉霞の浴衣は、異彩を放っていたのでした。
市:璃莉霞―――さ・ん・・・その浴衣・・・
し:先輩スゲ〜〜っス☆
よーく似合ってて〜〜てか、それ、どーしたんす?☆
朋:あたしらと一緒に作りに行けないと思ってたら、内緒で作ってやがったんかよ、おめーは!w
璃:朋・・・そんなわけないじゃん。
それに、これ―――母様のお下がりなんだよ・・・。
市:(!)璃莉霞さんの―――
朋:そいつは・・・すまんことした―――
し:(・・・)
璃莉霞が親しい者達に見せた浴衣こそ、璃莉霞の母の、「形見」のようなものだった・・・
だから、その事情に詳しかった加東しのも、新垣朋子も、程度以上の事は語りたがらなかったのです。
そう・・・二人は知っているのです。
璃莉霞の母―――征木阿重霞の、「行方不明」の経緯を・・・
(但し、そうだとはしても、阿重霞がネット上で生きている事までは、知らされていない。)
そうこうしている内に、男性陣の到着―――
? ?? ???
璃:あっ―――秀ちゃんに・・・厳さん??
市:(厳三様・・・)けれど・・・どうして―――
厳:うん? 先程こやつとばったりと出くわしてな。
行きずり上、一緒になった・・・と、こう言う事だ。
清:(よく言うぜ・・・けどなあ―――)
ま・・・そう言う事だ。
いつもならば―――清秀だけが顔を出す・・・モノと思っていたら、
市子の幼馴染である、千極厳三までも一緒だった・・・
それに聞けば、この二人は「偶々出会った」・・・とは言っていたのですが―――?
実は彼らは、彼女達の知らないところで、何やらをしていた―――
それを、夏の一大イベントの為、一旦切り上げて戻ってきていたのです。
その事を、少し前・・・彼らと一緒にPTを組んでいた、ある「海外」プレイヤーは・・・
『ジパングにも、変わった風習があるものなのね―――』
そのプレイヤーの故郷には、日本古来の風習である、「お盆」のようなものは、なかった・・・
だからこそ、“そう”言えたものだったのです。
つづく