サライ国女王・ソフィアからの急な頼まれ事に、気が動転しそうになってしまっている市子。
けれどもソフィアからの話しを聞いて行く内に、これから市子が手を染めて行くことになる「隠密」「間諜」「スパイ」行動をしている人間は、彼女以外にもかなりいたようなのです。
その彼らは、もうすでに件の話題となっている国―――「プロメテウス」や、馴染みの深い「オデッセイア」・・・
更には、この国に潜伏をしているかも知れない者達を探る為、各地に散らばっていたのです。
傍から見ても、手を汚す事のない―――清廉潔白な女王陛下が、他人の肚を探るような真似事をしなければならなくなるほど追い込まれている・・・
ソフィアの苦悩は、盲目である市子でさえも犇と伝わってきました。
「この私に話されるまでに・・・この方はどんなにか苦悩されてきたに違いない。」
「なれば、私は迷うべきではない、異邦の出身だからとて差別のない待遇に中った御恩を、こうした象でお返しするのも、それもまた仁義の道・・・」
自分の胸の内に言い聞かせるようにすると、次に市子は最敬礼を取り、委細承知した旨を女王陛下に示したのです。
するとその事を、ソフィアは諸手を叩いて喜んだ・・・いや―――喜びたかったに違いはなかったでしょう・・・
けれども、この市子との密議は、誰にも知られてはならない―――・・・
もしかすると、既にサライの官の内に潜んでいるプロメテウスからの間者が、聞き耳を立てているかも知れない・・・そうした疑いもあったのですから。
こうして市子は―――機を見て暇を乞い、旅人の扮装をして今はオデッセイアの同邦の人間・・・蓮也の庵に来ていたのです。
しかし―――市子の事情は判る・・・痛いほど判るとしたかった蓮也ではありましたが・・・
蓮:市子殿のご苦労・・・並みならぬモノがあるのは、拙者としても知る限りではござるが・・・残念ながら、お話しする事は何もあり申さん。
市:そうでしたか・・・後の半生をあなたと―――まで云いおかれた方が、その行方・・・
蓮:―――シッ! 市子殿・・・!
市子が、リリアの行方を探ろうとしていたのは、蓮也でも感じられました。
けれども、この国の官達の口の端にも昇らない様な話題を、どうしてか異邦の人間である自分が知りおかれようか・・・と、苦しいまでの弁解をし、
市子もその事についての言葉を挟もうとした―――その時、蓮也は小声で・・・それでいて素早く市子を窘めるようにすると、
自らは、刀の鞘に付けていた笄を外すと、障子越しに投げてみたところ・・・果たして―――屋外にて動物の絞るような声がしてきたのです。
それと同時に、何やら重量感がある物体が地面に落ちるかのような音がすると・・・この庵から去るような走音が複数―――・・・
すると蓮也は―――・・・
蓮:やはり―――な・・・この庵を張っておったか。
ここ最近、どうも妙な気配がしていたので、用心していればこれでござる・・・見なされ、この書付を。
市:・・・これは―――!
この庵から去っていく走音を確認し、またこの周辺に誰もいないことを確認し終えると、先程自分が鋭利な物を投げつけたところまで足を向かわせる蓮也・・・。
するとそこには、先程の笄が急所に当たり、絶息した―――いかにも訝しげな人物が一人・・・。
その人物も、どうやらこの界隈の人間ではないらしく、恐らくはプロメテウスがこの国の情勢を探らせる為に放たれた、間者の一人・・・
しかもお誂え向きには、懐には今回の指令だと思われる書付を忍ばせていた・・・
そしてその書付を、本当は目が見える市子にも見せてみると、果たして―――そこには驚愕の事実が・・・
つまりは、この国の主が不在と知れれば、その報告を速やかに本国へと持ち帰り・・・然る後には、遠征の為の軍を派遣させる旨の事が書かれていたのです。
第八話;張り詰め行く糸
その事は同時に、ソフィアが危惧していた事―――そのままがあった・・・
だからそこで蓮也は―――・・・
蓮:なるほど・・・それで市子殿も一役買って出た―――と、申されるのですか。
市:はい・・・ですが、これで事態は愈々望まぬ方向に向かいつつある事が判りました。
それに・・・やはり―――・・・
蓮:いかにも・・・ここ数日、リリア殿の行方も知れるところではありませぬ。
まあ・・・この国の官の見立てでは、こんな事は昔からよくあった事なのだそうですが―――何かしら拙者には、陰で良くない事が起きつつあるのだと、思えてならぬのでござる。
そしてここで、ようやく本心を語り始める蓮也―――・・・
彼もまた、情報の有用性を心得ている処があるモノと見え、だからこそ市子の前だとしても中々その本心を語らずにいたのです。
それに蓮也は、今回の件に関してあまり楽観的に捉えてはいませんでした。
だからそこで語られたのは、現在の彼の胸中―――不安そのままが言葉となって現れたのです。
その翌日―――市子と別離れた蓮也は、思う処があってノーブリック城を訪れていました。
そして蓮也は、事態がこうなる少し前に、予めリリアから聞かされていたこと・・・
もし蓮也が、何か思う処があり―――相談を持ちかけたかったら、ある特定の人物を訪ねる事・・・その事を忠実に、実行に移したのです。
そしてこの時、蓮也から相談を持ちかけられた人物と云うのが―――・・・
蓮:―――そなたがミンクス殿でござるか。
ミ:はいそうですが―――私に何か・・・
名は、ミンクス=ウインスレット=レオニード―――この国、オデッセイアの一軍を束ねる将軍の一人でもあり、リリアが古くから信頼を置く人間の一人でもあったのです。
その彼に蓮也は、回りくどい事をするよりも―――単刀直入に云ってみることにしたのです。
蓮:実を申すと・・・リリア殿の事なのでござるが―――
ミ:・・・その事でしたら、こちらへ―――
異邦からの人間が、昨今行き方知れずになっているこの国の代行者の名前を出すと、
この国の人間であるミンクスも、ここの処の不穏な空気は感じていたらしく、敢えて二人で話し合う恰好を取ったのです。
そしてミンクスに案内された別室にて、蓮也は当初から胸の内にあった事そのままを、ミンクスに打ち明けてみると・・・
蓮:拙者は、異邦の出であるが故に、この国の事はあまり良く判り申さん―――なれども、この国にとってのリリア殿は、大事な跡目のはず・・・
それを、突如としていなくなられても、心配すらしない―――と、云うのはどう云った料簡からでござるか?!
ミ:なるほど…確かに―――姫様のあの放浪癖に関しては、私共としても当初は対応に苦慮させられたものです。
ですが、常習性が判れば、なんら悩まされる事もない―――と、したいところなのですが・・・
どうも私が感じるのには、今回の件に限っては、いつもとは様相を異にしている・・・そう云わざるを得ません。
だからと云って、私もその手掛かりが掴めれば―――と、している処なのですが・・・
蓮:然様でござりましたか―――なれば、これはその手掛かりになるやも知れませぬ。
今回の放浪失踪劇は、いつもとどこかが違う―――そうした疑問をミンクスが投げかけると、すかさず蓮也は、今回得た「動かぬ証拠」をミンクスに見せてみたのです。
するとミンクスも、その証拠を見るなり、自分が抱いていた不安を明確なモノに置き換えるしか他はなかった・・・
しかも、蓮也がこの証拠を得た経緯も―――・・・
ミ:―――これは?!! 一体どうして・・・
蓮:これはですな―――さある、サライからの密偵と拙者とが会っていた折、拙者が仕留めた「北からの招かれざる客」が懐に忍ばせていたモノにござる。
ミ:サライの密偵と・・・またあなたが―――なぜ・・・?
蓮:その事に関しましては、拙者の見解を述べるに・・・サライもまた、ここの処の不穏な空気を察して、それであるが故に密偵も数多く放たれているように感じられまする。
その内の一人が、拙者の処に来たのでござるが・・・拙者の庵の外にて不審な気配が致したので、急遽笄を投げつけてみれば・・・結果がこれなのでござる。
その・・・動かぬ・・・衝撃の事実―――かのプロメテウスからの・・・望まぬ訪問者が指令を受けた、工作の内容が書き綴られた「命令書」・・・。
ミンクス自身も、ここ最近どことなく感じていた不安の正体が、そこにあったのです。
しかも間の悪い事に、蓮也がノーブリックを訪れる以前に、既に別の経緯で―――ミンクスはある事実を知っていたのです。
ミ:これは非常にまずい事に―――・・・
蓮:いかがされたのでござるか。
ミ:いや・・・うん・・・。
実は―――先頃、プロメテウスと国境を接する最前線の地にて、河を隔てた向こう岸にあるプロメテウス側の砦に・・・殺気が充満しつつあるとの報告を受けているのです。
蓮:な・・・なんですと―――?!
ミ:それに・・・タイミング的に、非常に出来過ぎている―――探りを入れさせていた者の一人が帰って来なかったからと云って、この対応は余りにも早い・・・
もしかすると―――こうなる事が前提で、計画として進められているのだとすれば・・・
この度の、蓮也からの「動かぬ証拠」―――に、先頃報告された「不吉な噂」・・・
この事にミンクスは、この国の北側の境にて、近々プロメテウスとの武力衝突があるのではないかと予測していました。
けれど、「予測」は―――予測だけに留まらず・・・徐々に現実化していたのです。
北側の境にて急激に高まる緊張と―――不在の国の代行・・・
こんな最悪の事態の中で、終に最悪の事態は避けられない状況に追い込まれてしまっていたのです。
=続く=