<第三十章;FLAME>
≪一節;“お方様”と呼ばれる存在≫
〔件の草庵よりの帰途、その庵主『典厩』なる人物の忠実なる部下達・・・
『禽』からの手荒いとも言うべき洗礼を受けた、アヱカとキリエ。
今はその事態も収まり、改めてガク州への帰路を急いでいました―――・・・
これは、そんな馬車の中でのやり取りなのでございます。〕
ア:(フフ・・・)それにしても―――上手くかわせられるようになったな、キリエ。
キ:・・・いえ―――
ただ・・・私も過去に、よく似た事例がございましたので・・・
ア:<えっ・・・?“過去”に・・・似たような事??>
女:ああ・・・あれは―――いつの頃だったかなぁ・・・
キ:『メッサークの会戦』の折です。
―――あの頃の私は・・・ただ、戦功を焦るばかりの猪武者でした・・・
それゆえ、相手の戦力すら分からない状態で、敵中に突っ込んでしまって―――
そして・・・挙句の果ては、惨めな捕虜です。
自分の技量もよくわきまえずに、無様に敵将の前に跪かされ・・・
―――あの時は、さすがに後悔しました・・・私自身の“死”すらも―――
けれども、私の“母”なる存在であり―――また、同じくして“上官”であった『お方様』のお蔭で、
現在(いま)の私があるのです。
ア:<まあ・・・そうだったのですか。
(それにしても・・・『お方様』―――って、どなた?)>
女:そうだね―――そんなこともあった・・・
キ:それに、先程のは、もし『お方様』ならどういわれただろう・・・と―――
女:それはそうだね―――
あの子は・・・特に血を嫌った―――自分が流す血よりも、流した血のほうが・・・
だから、戦場に赴くのを、極端に嫌ったんだけど―――
キ:一度・・・陛下に楯突いたら最後。
例えどんな弁解を聞いたとしても赦しませんでしたから―――ね。
〔そう―――あの時・・・不意にキリエの口から出た言葉は、
もし自分の立場が、『お方様』と呼ばれる自分の上官だったなら、どう云い置かれたか・・・
そのことが思わず言の葉となってしまったのだ―――と、したのでした。
しかし・・・アヱカにしてみれば、この『お方様』なる、余り聞きなれない呼称の人物に、
少なからずの興味を抱いてしまったようで―――〕
ア:<あの―――・・・申し訳ありませんが、『お方様』・・・って、どなたの事なのです?>
女:うん―――? ・・・・そうだね、キリエ―――
キ:―――はい。
『お方様』とは、別の名を“洞主”“龍の君(きみ)”と云い於かれた―――
私にとっても“母”なる存在・・・
ヱリヤ=プレイズ=アトーカシャ
―――様の事なのです。
ア:<ヱリヤ・・・それに―――“龍の君”って、もしや??!>
女:・・・そう―――今の伝承にも遺っている、『ゾハルの主』の事なんだよ。
〔アヱカも・・・その存在にまつわる数々の“伝承”は知っていました・・・。
それも―――女禍様やキリエが語ったモノとは別の・・・言い換えるなら、少し血生臭い伝承を・・・
それは・・・一度、“皇”たる存在の女禍様に背いた、元・自分の部下を―――
その者をとある合戦で屈させ、跪かせた折、いかなる弁明にも耳を貸さず・・・
そして、何の躊躇(ためら)いも見せず・・・自らの持つ武器で刺殺した―――ということを・・・
そのことを知っていたがために、一抹の不安が過ぎらざるを得なかったようでございます。〕