<第三十七章;王子の養育>

 

≪一節;腰の重い道理≫

 

 

〔その人物は―――ガク州公・アヱカが、その脚をして五度も庵を訪ね、何とかして自分の幕下に迎え入れたいとしていた存在でした。

 

しかしその前に―――不確定であったこの庵の主なる人物を、アヱカはすでに知っていたのです。

 

それは・・・現在を遡る事、数ヶ月も前・・・『夜ノ街』なる処で、敵ともいえる存在―――
カ・ルマの黒騎士たちに、虜囚の憂き目に晒されようとした時、

当時のアヱカを救い出し、追っ手をも迎撃したのが、この庵の主・・・

タケル=典厩=シノーラ

その人だったのです。

 

 

それから紆余曲折があり、アヱカはフ国のガク州の公となり、民達を思う州政を布こうと思ってはいたのですが、

今更ながらに、自分一人では至らない面が多々あるのを知り、そこで五度もこの庵に立ち寄った―――と、言うところなのです。

 

ですが・・・・庵の主、タケルの腰は存外に重たいのでした・・・〕

 

 

ア:な―――なんと・・・ダメといわれますか??!

 

タ:はい・・・。

  州公様が民を憂え、国を思う・・・その気持ちには感服いたします。

  ですが―――ワシは未だ若輩浅学、あなた様のご期待に応える力などありません。

 

ア:ナニをおっしゃられる―――それはご謙遜でしょう。

  あなたを紹介してくれた、セキ殿の目に誤りがあるとは思えません。

 

タ:・・・・セキ=イ=ラムーズ様なら、フ国の内外にも名の知られた高士でございます。

  ―――が・・・そこへ行くと、ワシは全くの無名の一農夫に過ぎません。

  ナゼに 天下の政(てんかのまつりごと) など、談じ得ましょう。

 

 

〔それは―――まさに用意されたかの如くの、丁寧な“お断り”の文言でした。

 

事実、タケルは“自分には才がない”旨のことを、自分を仕官させたがっている各国の要人達に触れ回っていたのも、そうだったわけなのであり・・・

でも、アヱカは、五度もこの庵に脚を向かわせていることもあるので、簡単には引き下がれない様子―――

そこで、タケルはとあることを試みたのです。〕

 

 

タ:(ふぅむ・・・)どうやら州公様は、珠を棄てて石を拾いなさろうとしているようだ・・・。

 

ア:なにを言われまする―――

  石を珠と見せても無駄なように、珠を石といわれて信じる者もおりません。

 

  それに、タケル殿は十年に―――いや、百年に一人出るかどうかの才の持ち主だ・・・

  それを若くして、その才を食いつぶしたりするのは、忠孝の道に背く事にはなりますまいか―――?

 

タ:・・・忠孝の道に―――

 

ア:それに―――国も乱れ、民の心もまた国から離れようとしている・・・。

  なのにタケル殿は、お一人でこんな閑静な地にて、一身の安泰を図ってよいものなのでしょうか?!!

 

タ:――――・・・。

 

ア:それに・・・今こそ、タケル殿のような優れた者を必要としているのです。

  私は―――あなたの書斎で、あなたの著した書に一通り目を通させていただきました。

 

  そこで思ったのです、なぜ―――こんなにも大層なことを著せる人物が、在野に放たれているのだろうかと、

  それを見過ごしていたなら、これは国家にとっても・・・いえ、世のためにおいても、多大な損失になってしまう・・・

  そうは思わないでしょうか―――!!?

 

 

〔アヱカは―――この大層な矜持を抱きながらも、未だ在野に居残ろうとしている者の眼を醒まさせるために、

いつになく熱弁を振るいました。

 

ですが――― 一見して鈍いと思われていた、その漢の胸の内は、すでに決められていたのです。〕

 

 

タ:―――なるほど、そう参りましたか。

  確かに、ワシの書斎に通し、あそこにある書に目を通して頂きたかったのは、

このワシの胸に燻(くす)ぶっているものを知って頂きたかったがため・・・

  ですが、誰でもよいというわけにはいかなかったのです。

 

  アヱカ様―――あなた様は、曲学阿世(きょくがくあせい)なる者達を存じていらっしゃいますか―――?

 

ア:曲学阿世―――?

  もしかすると・・・学問を役立てる事を知らず、学問のために学問を―――論議のための論議をなそうとする、

  道理を曲げて、権力者や大衆に気に入られようとする者達のことか―――?

 

タ:いかにも―――・・・ワシは、そういった者達から逃れるため、こういった閑静なる処へ居を移したのです。

 

  それに、ワシは学問と言うものは、国を統べる者に仕え、民がどのようにしてよい暮らしができるか・・・

  その時こそに役立てるべきもの―――と、そう常々思っておるのです。

 

ア:なるほど・・・いや、確かに。

 

タ:ですが―――皮肉な事に、ワシの居場所を目ざとく見つけ、仕官の口をちらつかせる者も、またあなた様以外にいたのです。

  そこでワシはそんな者達から逃れるために、ここ数ヶ月の間、ここを留守にしていたのです。

 

ア:(あ・・・)やはり、迷惑―――だったろうか・・・。

 

タ:(フ・・・)いえ―――ですが、それはアヱカ様のように、真に国や民を憂いてくれるお人をも、遠ざけてしまっていた事にもなりえていたのです。

  それに―――あなた様の事は、ワシの親友や弟からもよく聞いている。

 

  永らく民から搾取してきた処に左遷されながらも、よく民意を反映した治世を行っている―――と。

 

ア:あっ―――その噂でしたら・・・

 

タ:(フフフ・・・)それこそ謙遜というものです。

  今のように、誰しも自分を持ち上げられればいい気分に浸れる・・・ところが、あなた様は不思議とそうではない―――

  いや、寧ろ迷惑そうにも見受けられる・・・。

  それは、当然の如くの事をしたことだから、褒められるような事ではない・・・ともしているようだ。

 

ア:・・・そう―――見受けられますか・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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