≪五節;鞭声粛々と―――・・・≫
〔――――その夜更けに・・・相手に気づかれないように移動をする、フ国本軍と三州公軍・・・
そこには、“総大将”がいることを表わす『帥』の字が縫い付けられた旗が翻っていたのです。〕
タ:・・・よし―――『帥』の旗はここら辺に立てておくこととしましょう。
そこには、このワシと数十名の見張りの者だけで十分でございます。
それから―――先程申し上げていたように、もし後方で霍乱があったとしても、騒いだりしてはなりません。
それこそは単なるヴェルノア側の陽動に他ならない事でしょうから―――・・・
テ:し―――しかし・・・そなたは本当に後方からの霍乱がある・・・と、でも?
タ:(フ・・・)さあ―――?そこまでは・・・
何も、ワシとて未来を予見出来うる者ではありませんから・・・
ですが、この度の出師がヴェルノアの国の内外でも“戦上手”として知られている“あの方”の手によるものであれば・・・
寧ろこのことは絶好の好機・・・必ずや見逃すはずも御座いませんでしょうから――――
〔その男は、“確信的ではない”とはしながらも、確信的であることを的確に捉えていました。
そして、この度の戦も―――自分たちがあることを確かめ合うために起こされたものであることを、
よく理解しえたうえで―――だったのですから・・・
その一方のこちらでは―――やはり相手に気取られぬように、馬にも兵にも口に枚(ばい)を含ませ、
まさしく『鞭声粛々として渡河する』一軍が―――・・・〕
婀:(皆―――気をつけよ・・・此度の行動は、ほんの僅かな音でさえも気付かれてはならぬことを・・・)
騎:―――――・・・・。
騎:―――――・・・・。
騎:―――――・・・・。
紫:(婀陀那様も・・・随分と無茶を考えなさる―――)
〔ほんの僅かな―――そう、軍馬の蹄が水を撥ねる音でさえも、相手の気付くところとなる―――とあっては、
手綱を握る騎兵の手も、今はそのことについてのみ集中をせざるをえなければならない・・・
それこそは普通に行軍をするときよりも、一段と難しいことであったのですが・・・
それに今回は、それをしなければ軍務違反になると、婀陀那よりきつい下知があったばかりでなく、さらに――――〕
紫:ええっ―――?!! い・・・今なんと?? 婀陀那サマ、今一度おっしゃって下さい!!
〔それは―――現在より少し前での、ヴェルノア郡の作戦会議の最中(さなか)―――・・・
そこでは、前(さき)にもありましたように、崖に等しい坂からの『逆落とし』を決行しようとする一軍があったのですが、
まださらに次の婀陀那の一言が、今回の戦の程度を一段階引き上げてしまったのです。
その―――婀陀那の一言というのが・・・〕
紫:い―――いくらなんでも無茶で御座います!!
タダでさえ崖のような処から『逆落とし』をするだけでも困難なのに・・・
そのうえ、フ国の兵士一兵たりとも傷つけずにこの砦まで帰投せよとは―――!!
婀:――――ならば、お主は留守居役でもするのかな、もう一人の妾とともに・・・(ニャ)
〔しかし―――それこそはまさしく“無茶”そのものでした。
崖に近い坂より下りるだけならまだしも、自軍後方より敵がもし現れたりしたなら・・・??
それが普通の将校が率いる軍だったのなら、それに須らく反応をし、交戦状態となってしまう・・・
でも―――もし・・・こちらがそうであるということを知られてしまっていたなら・・・??
つまり―――紫苑は、そういう不安に駆られながらも、今回の出撃に参加をしていたのでした。〕