≪二節;“死”というものの観念≫

 

 

〔そして、そのことを認めた方の口からは―――・・・〕

 

 

女:私も――― 一度は死んだ身だからね・・・だからあなたにも見えてしまうのだろう。

  けれど、今の私を見ても判るように、決してこれから来る“死”というものを恐れてはいけない。

 

  “死”は、その存在自体の終焉ではない―――また新たなる存在を・・・運命を紡ぎだせる 通過点 に過ぎないんだ。

 

  確かに―――現在あなたが知り得ている“縁”と、来世でのあなたの“縁”は違うかもしれない。

 

  でもね、それは私にも云えたこと―――

 

  私が治めていた世の人々は、今では数えるくらいにしか存在していないけれど、

  それでも私は落胆はしていない・・・

  なぜかというとね―――また新たなる“縁”に巡り合わせられる可能性だってあるわけじゃないか。

 

  今は“今”―――過去は“過去”―――未来は“未来”・・・

  そうやって 時 というのを愉しむのも、手段の一つだと私は思うんだよ・・・。

 

 

〔その方は、存在の“死”というものを後ろ向きには捉えず、むしろ常に前向きな姿勢で捉えていました。

 

“現在”という自分の 時限(とき) から離れても、“未来”がある―――

 

そして “現在”(今) は “過去”(昔) となり、また新たなる “未来”(明日) を創造する―――・・・

 

そういったことを愉しんでいくのも、“手段”という方法論の一つではないか―――と、説いていったのです。〕

 

 

 

 

 

 

 

 

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