≪五節;訓練光景―――その三≫
〔それからまた二週間もの時間が過ぎ―――・・・〕
キ:いい・・・最低でも水分は一日4リットルは摂取するようにして、
寒いからと云って水分を忌避しがちだけど、酸素不足の高所においては重要なものよ。
それから―――呼吸だけど、三週間も経つのにまだ平地と同じ要領でしている人がいるわね。
ル:え・・・っ、あ、は、はい―――
キ:それではダメよ、鼻から吸って口からヒューと吹くように・・・つまり腹式呼吸をするようにして。
そうでないと、浅い呼吸ではたちまち高山病にかかってしまうから、それが9,000での高山病だった場合すぐさま死を意味してしまうものなのよ。
〔そこでは(日常・平地においても)重要不可欠である水分の摂取―――それと、高所においての呼吸の仕方が・・・
遠い過去には、その標高(8,500)で命を落としてしまう者達が続出した・・・けれども、
現在彼女たちがいる地点(8,500)で彼女たちが未だに生きていると云うのは、
人間の身体が過酷な環境に慣れつつあったことにも繋がっていたのです。
しかしここで―――・・・マグレブの民たちの一人、レイカが急に苦しみだし・・・〕
レ:うぅぅっ・・・はあっ―――はあっ―――うっ!ぐぅっ!!
マ:レ・・・レイカちゃん!大丈夫―――?!
シ:レイカ―――しっかりして!
ユ:(これは・・・)―――キリエさん!
キ:・・・高山病ね、でも症状はまだ軽い方だわ、安心して―――
ル:し・・・しかしレイカがこんなにも苦しんでいるでは―――
〔これまで順調に訓練は進んでいると思われていたのに、その中の一員であるレイカが急に吐き気を伴い苦しみ出したのです。
そう・・・これがいわゆる高山病―――しかもそこにいたナオミ達は、これまでに不可解なこの病にかかって亡くなって逝った者達のことを思い出してもいたのです。
平地では、風邪ひとつひいてこなかった丈夫な人たちが・・・それが、どうしてこうもなんとも形容のし難い苦しみ方をして死んでいくのだろう・・・
こうしてまた一人―――犠牲者が出ていくのでは・・・それも、本番であるヴァーナムではなく、訓練地であるゾハルで・・・!
しかしキリエは、レイカの症状を見ると軽度の高山病だと判断し、徐(おもむろ)にして装備品からあるモノを取り出してきたのです。〕
キ:さぁっ―――これを・・・口から思いっきり吸いこんで。
レ:あうぅっ―――すうぅっ・・・はぁっ・・・すうぅっ・・・はあっ・・・!
ユ:・・・それは―――?
キ:・・・そろそろこの高度でもきつくなってきたみたいね、いいわ――― 一つ空けましょう。
マ:ぅんん? アレ・・・なんだか心なし気分が良くなってきたよ?
ル:ほんと・・・あの、その瓶みたいな容器には何が入っているんです?
キ:これにはね、酸素だけが入っている―――酸素ボンベなの。
シ:酸素・・・ボンベ?
キ:そう―――今回は偶々(たまたま)レイカさんが発症してしまったけど、本音を云ってしまえばここにいる私以外の誰かがこうなってもおかしくなかったのよ。
ル:それはどう云う事―――?
ユ:・・・敢えてそれを使うタイミングを見図るため―――?
キ:・・・そうね、でもそれでは一つ見誤まれば一人多く犠牲者を出していたことにも繋がる。
けれどもね、高所においての物資の確保―――特に水分や空気と云ったモノは、普段から身の回りにあるだけに見落としがちになるけれど、
いざ荷物にまとめて―――と云った時に嵩張(かさば)り易いのも事実なのよ。
ユ:では・・・今回あなたが背負ってきているのは―――
キ:けど・・・お陰で一本分軽くなったわ。
それにボンベはあと二本残っているから、安心して―――
〔何と云う事だろう―――今更にしてキリエが自分たちの装備を見て呆れかえった理由がどことなく判ってきた・・・
そう―――自分たちが行ってきた越山法が、どれだけ稚拙なもので、怖いもの知らずだったのか・・・
要は、自分たちはそう云った最低限の装備すらしないで、12,000級の連峰を越えてきたのだ、
そのことを知り、ユミエは自分たちの行為が無謀―――と云うものですらなく、愚行の極致にあったことを今更ながら痛感したのです。
それに・・・キリエは敢えて言葉緩やかにはしてくれたけれども、あと残っている酸素ボンベは二本しかない―――
その意味を、自分たちは読み違えてはならないともしていたのです。〕